テロリズムとニヒリズム

こんにちは。

さっき、『許される悪はあるのか?』を読み終えました。

主に、テロが起こった際の小悪の原理について述べられていました。テロリズムとそれを制圧する政府の悪のどちらがより悪いのかという議題がありました。

言われてみれば「そりゃそうだな」と思うことが多かったですが、それらを再認識する良い機会になりました。

特に印象的だったのが、テロリズムニヒリズムの関係についての話です。本来、暴力は或る目的を達成するための手段として用いられるが、その目的はどうやっても達成されないんだとニヒリズム的な思考に至ってしまうと暴力が自己目的化してしまう。その結果生じるのがテロリズムだそうです。

例として挙げられたのが、ロシア帝国アレクサンドル二世の暗殺。確かに、あれは農村での改革に失敗したナロードニキニヒリズム的な思考に至って引き起こした事件でしたね。世界史で習ったことが繋がって少し嬉しかったです。

 

次はゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読もうと思います。また感想を書きますね。

ではまた。

お久しぶりです。

また気が向いたので更新します。お久しぶりです。

 

最近は読書リストを作成してそれに従って読んでいます。村上春樹の1Q84を読み終わり、今は『許される悪はあるのか?』を読んでいます。

1Q84、なかなか良かったです。主人公の青豆、天吾に魅力を感じました。二人とも家庭環境がどっかしら歪んでいるんです。そこから魅力が出ているというか。歪みが負の側面と正の側面の両方を持っているんです。二人は歪みから傷を負っていると同時に、ミステリアスな魅力を得ている。

それと、全体的に文章が少し憂鬱な雰囲気を纏っている気がするんです。出来事を淡々と語るのと同時に、様々な引用や比喩で飾っている。

なんかこう、引用や比喩を考えていると文章が頭の中をするすると流れていくんです。それがとても心地よい。

私は大衆文学に関しては、じっくり味わうというよりも文章を消費する傾向があるので、麺をすするように文章が頭を流れるような作品が好きです。1Q84はぴったりでした。

 

また本を読み終えたら感想を書いていこうと思います。

 

思ったことはちゃんと文章化しなきゃいけませんね。最近の私はもはや考えることすら放棄していました。

人間は考える葦である

尊厳を守らなければ獣同然。もっと人間らしく生きたいですね。

 

それではまた。

政府の対応に関して思うこと。

こんにちは。日記から気まぐれの呟きと変化している気がしますね。どうでも良いですが。

 

来週からGo to キャンペーンが始まるそうですが、皆さんはご旅行の予定はありますか?私は絶賛インドア派なのと(笑)、自分が罹患して広める可能性もあるので控えようかと思います。気が変わって行きたいと思っても、近隣の県に留めようかと。

 

このキャンペーンに関してどうしても納得いかないことが多い、多すぎるんですよね。

大学のこと軽視しすぎじゃあないですか?

「小中高は対面式授業を再開しているのに大学だけオンラインのままなのはおかしい」と言っている訳では無いんです。前者よりも学生の移動の規模がかなり大きいので、それはやむを得ないと思います。

でも、県を越えた学生の移動は極力控えるべきだと言うのにそれよりも規模の大きい、旅行による人の移動を推進するのはおかしいと思いませんか?私は理不尽だなと思っています。

 

ただ、ここで厄介な点がありまして。

大学等における新型コロナウイルス感染症への対応ガイドラインについて(周知)

https://www.mext.go.jp/content/20200605-mxt_kouhou01-000004520_5.pdf

文科省がこのPDF資料を出しています。これを読んだんですが、判断は各大学に完全に任せているんですよね。

つまり、「おかしいじゃないか!」と憤ったところで

「我々はただガイドラインを出しただけ。判断は各大学に任せているから、納得いかなかったら大学に文句を言いなさい」と跳ね返されると言うわけですよ。

実際に文言を見てみると、

「各大学等においては,遠隔授業の実施など,学内や地域における感染拡大の防止と,学生の学修機会の確保を両立するための取組が,すでに多数行われているところであるが,地域における感染症の発生状況や学生の状況等を踏まえ,学生が通学する形で行われる対面での授業(以下「面接授業」という。)や,大学等の構内における研究活動の開始・再開について判断すること。」

判断を完全に任せていますね。

大学からすると、現状を鑑みればオンラインに留める判断をせざるを得ないのであって。その判断を批判する訳にはいかない。

 

大学を軽視していることを批判したいけども、自信をもってそれをできるような根拠が無い。なんだかやるせない気持ちになります。

根拠のない薄っぺらい批判をするわけにはいかないから黙るしかない。

 

政府の方が一枚上。モヤモヤしますね。

 

今日はここで失礼します。ではまた。

夏休みの予定

こんにちは。

 

夏休みが近づいてきました。何をしようか考えている所です。

コロナの影響であまり遠出が出来なさそうで、ちょっと退屈しそうです。

友達とご飯を食べに行く約束をしたので楽しみにしています。

バイトとちょっとしたお出かけ以外にやることが無くて…今まで忙しくて読書をサボっていたのでこれを機に読もうかなと思っています。

何を読もうか考えていたのですが、今「存在と時間」を読んでいるのでそれを終わらせたいですね。内容がめちゃくちゃ難しくて全然進まないので。

後は、母に勧められた「脂肪の塊」、「外套・鼻」、「車輪の下」かな。

ゲーテの「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」も気になります。

一年生のうちに聖書(新旧)、コーラン論語を制覇するという目標を掲げていて。今論語しか読んでいないので、そろそろ旧約聖書にトライしてみます。

 

他はドイツ語の復習と、気が向いたら数学と世界史をやろうかなと思っています。

 

考えるだけでも楽しいですね。でもその前に期末レポートと試験を乗り切らなければ。

頑張ります。

それではまた。

自分の意見…?

皆様、お久しぶりです。

 

バイトも少しずつ慣れてきて、怒られることも減ってきました。でもまだまだ油断禁物です。憂鬱な気持ちは少し残っています。

明日と明後日と連続してシフトがあります。メンタルを保っていきたい所です。

 

 

最近、大学の期末レポートがたまっていまして…今のところは二つあって、それぞれ締め切りは22日と30日です。多分明日あたりにもう一つでます。今は参考になる書物を読んで情報を集めているところです。ある程度方向性は決まっていますが、具体的にどうやって書けば良いのかわかりません…。ちょっとピンチです。

とあるレポートでは、「現代においても教養及び教養科目の軽視の傾向が続いているのはなぜか」について論じてみたいと思います。でも参考にしようと思って読んだ書物に書かれている作者の意見って、主観に過ぎないじゃないですか。引用する際に出典をちゃんと書いたとしても、そうした意見にただ賛同して引用して「こうだと思います!」って述べるのって、自分の意見になりうるのか疑問です。どうなんでしょうか。それでずっと悩んでいます。誰か助けてほしいです。

 

 

災害ボランティアをやりたいって数年前から思っていたんですが、この時期に来られると逆に迷惑でしょうか?夏休みをどうするかでふと考えたのですが。

 

今日はこんな所で。それではまた。

昨日に学び、今日を生き、明日に期待する

お久しぶりです。今日も一日お疲れ様でした。

 

最近アルバイトで怒られてばかりで落ち込んでいました…始めたてだから仕方が無いんですけどね。

ここ数日、出勤するのがしんどいです。明日もあるので少し憂鬱です。

 

でも今日思い切ってこのことを母に話したら、

「この時期は怒られて当たり前。辛抱していれば急に楽に感じられる日が来るよ。」

と言われ、更に母の学生時代のアルバイトの話を聞くことができました。当時の母もこっぴどく叱られていたそうです。

 

少し気が楽になりました。

 

ここで一つ、スヌーピーの名言に頼ってみたいと思います。

「昨日に学び、今日を生き、明日に期待する。」

高校の部活動でしんどくなった時、この言葉に頼り乗り切りました。ここでも私を助けてくれるかもしれませんね。

出来たこと、出来なかったことを振り返って少しずつ前進していきたいです。そう願います。

 

明日も頑張りましょう。

ではまた。

少し強気に……!

昨日も一日お疲れ様でした。

 

最近アルバイトを始めて気づいたことがあります。

私はすぐに自分を責めることが多いんですが、労働においては「私は全然何も出来ていない…」とむやみやたらに自分を卑下するのは良くないんだなと思いました。

 

それをしたところで何も得なことは無いし、かえって周りに気を遣わせるだけ。

 

少し強気の姿勢がちょうど良いのではないでしょうか。

ただし、無知を自覚して謙虚に学ぶ姿勢も忘れてはいけない。

 

うん、これですね。今度のシフトもこの姿勢で頑張ってみようかな。

 

それではまた。